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壱岐ナビTOP >> 学ぶ > 白沙八幡神社の三十六歌仙画

白沙八幡神社の三十六歌仙画  このエントリーを含むはてなブックマーク

 壱岐7社のひとつ、石田町筒城の白沙八幡神社には江戸時代に平戸藩主第29代松浦鎮信公が奉納した三十六歌仙画があります。
白沙八幡神社の三十六歌仙画 三十六歌仙画とは、平安時代に歌学者である藤原公任の「三十六人撰」にその名をあげられた歌人三十六人をさし、柿本人麻呂。紀貫之、小野小町などがそれにあたります。
 白沙八幡神社に奉納されている三十六歌仙画は、縦役43cm、横27cmの杉及び檜の板一枚に一首ごと描かれており、歌は松浦鎮信公直筆で書かれているそうです。画は当時松浦藩の御用絵師でもあった片山尚景が描いた貴重なものとされています。
三十六歌仙画模写 現在では片山尚景が書き記した画をもとに江戸末期〜明治初期に描かれたものが白沙八幡神社に飾られています。旧石田町指定文化財(平成7年6月23日指定)でもあります。


[松 浦 鎮 信]:(1622〜1703)鎮信公は寛永12年(1635年)従五位下に叙し、肥前の守に任ぜられました。民政につくし、農民をいたわり、荒野を開拓して、産業を奨励し、浦の干拓事業などを行いました。中国南宋の忠臣文天祥の人となりを慕い、和歌を詠み、晩年は茶道を学び、自らを天祥庵と呼び奥義を極めた人物でもあります。記録によりますと、壱岐には寛文4年(1664年)に入り、島内の干拓事業を奨励し、延宝4年には国学者である三喜に延喜式式内社の調査も行わせています。また、壱岐郷土史によると石田町の印通寺の景色を詠んだ「妻子島 誰れを松崎 君ケ浦 七夕ならで 川はへだてし」という歌は鎮信公の歌であると伝えています。

[片 山 尚 景]:(1628〜1717)江戸時代の狩野派絵画の御三家家元狩野尚信の高弟で、松浦藩の御用絵師として鎮信公より士分で召され、禄高三百五十石で仕える。晩年は平戸に移り住み、90歳で亡くなっている。

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